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おつりが100円玉になるよう調整したのに10円玉10枚で出てきた
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2009年05月26日
2009年03月29日
日常生活のなかで、
ふっ、と虚しさがおとずれることはないだろうか?
何が不自由ということはない。
でもなにをしても満たされない。
自分は何かをまちがったのか、
自分はこれでいいのか‥‥。
こんなとき、どんなふうに
人生の舵をとったらいいのだろうか?
それで、30代後半から中年期にかけて、
社会に通じたいと欲求が高く、がんばってきた人ほど、
社会と交信する間に、お留守になっていた、
自分の深い内面と、
再び通じ合おうとするんじゃないだろうか。
なにかをまちがったから虚しいのでなく、
社会的欲求に忠実に、がんばって、社会にアンテナを張り、
社会と通じ合い、居場所を得たからこそ、
卒業証書のように、
気づける「虚しさ」ではないかと思うのだ。
日常生活のなかで、
ふっ、と「虚しさ」がおとずれるとき、
何かまちがったのかと不安になったりせず、
ましてや自分を裁いたり、
よその成功者の生き方を借用・盗用したりせず、
がんばってきた自分を認め、
静かに、自分の深層の声に耳を澄ませたい。
そこに、社会的成果とはまたぜんぜん違う、
どんな「花」が咲かせられるか、
楽しみに取り組んでみたい。
社会と通じる青年期、
再び自分の深層と通じる中年期、
それぞれに小さくとも自分の花を咲かせてその先に、
創造性に富んだ老年期が待っていると私は思う。
2009年02月28日
2009年01月23日
2009年01月12日